米国時間9月12日Newsmax
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「FBI、9.11機密情報を公開 サウジとハイジャック犯の接触を詳細に発表!」
FBI Releases Declassified 9/11 Document Detailing Contacts Between Saudis and Hijackers
記事によると、FBIは11日土曜遅く、2001年9月11日の同時多発テロの前に、サウジアラビア人からハイジャック犯2人に与えられた後方支援に関する機密文書を公開しました。この文書には、ハイジャック犯が米国内のサウジアラビア人関係者と接触していたことが詳細に記されていますが、サウジアラビア政府高官が計画に加担していたという証拠はなかったとされています。
同時多発テロから20年の節目に公開されたこの文書は、ジョー・バイデン大統領が命じて以来、長年にわたって公開されていなかった機密調査記録ですが、16ページの文書は、2015年に行われたFBIのインタビューを要約したもので、ハイジャック犯を支援した在米サウジアラビア人と頻繁に接触していた男性が、同時多発テロの前にアメリカに到着した際に行われたものです。
バイデン氏は先週、司法省をはじめとする各省庁に対し、機密解除の見直しを行い、今後6ヶ月間で可能な限りの文書を公開するよう命じていました。これは、サウジアラビア政府高官がハイジャック犯を支援したとする訴訟を起こしている被害者家族からの圧力によるものでした。
バイデン氏がニューヨーク、ペンシルバニア、バージニア北部で行われた9月11日の追悼イベントに出席した数時間後の土曜日の夜、大幅に編集された文書が公開されましたが、犠牲者の親族は、文書が機密扱いである限り、バイデン氏が式典に出席することに拒否していました。
サウジアラビア政府は長年にわたり、同時多発テロへの関与を否定してきました。ワシントンのサウジ大使館は、「サウジ王国に対する根拠のない疑惑をきっぱりと終わらせる」ために、すべての記録の機密解除を支持しています。同大使館は、サウジアラビアが加担したという主張は 「断固として誤り」であると述べています。
今回の文書公開は、米国とサウジアラビアにとって、政治的に微妙な時期に行われています。サウジアラビアと米国は、特にテロ対策の面で、難しいとはいえ戦略的な同盟関係を築いてきました。
バイデン政権は2月に、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子が2018年に起きた米国人ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏殺害事件に関与しているとする情報を発表しましたが、皇太子自身への直接的な処罰を避けたことで、民主党から批判を受けていました。
ムハンマド・ビン・サルマン皇太子
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ジャマル・カショギ氏
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被害者の親族は、この資料の公開を、同時多発テロとサウジアラビアとの関係を明らかにするための重要な一歩だと評価しました。世界貿易センタービルの攻撃で亡くなったブルース氏を父に持つブレット・イーグルソン氏は、FBIの資料が公開されたことで、「真実と正義の追求が加速するだろう」と述べています。
犠牲者の親族の弁護士であるジム・クラインドラー氏は、声明の中で「今回のFBIの調査結果と結論は、9.11同時多発テロに対するサウジアラビア政府の関与に関して、我々が訴訟で主張してきたことを立証するものである」と述べています。
ジム・クラインドラー氏
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クラインドラー氏は、「この文書は、これまでに収集された公的な証拠と合わせて、(アルカイダが)サウジアラビア政府の積極的かつ明確な支援を受けて米国内で活動していたことを示す青写真である」と述べています。
その中には、サウジアラビアの政府関係者が自分たちとアルカイダの工作員との間で電話を交わし、ハイジャック犯に住居の確保や飛行学校を見つけるための支援をしたりしたことも含まれているといいます。
9月11日については、19人のテロリストのうち15人がサウジアラビア人であることが明らかになったテロ事件の直後から、サウジアラビア政府の関与が推測されていました。当時、アルカイダを率いていたオサマ・ビンラディンは、サウジアラビアの名家の出身でした。
オサマ・ビンラディン
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すでに機密解除されていた文書によると、米国は、ハイジャック犯を知っていたサウジアラビアの外交官やサウジアラビア政府と関係のある人物を調査していますが、2004年に発表された9.11委員会の報告書では、アルカイダが首謀した攻撃に対して、「サウジ政府という組織やサウジの高官が個別に資金を提供したという証拠はない」としていました。
特に注目されているのは、最初に米国に到着した2人のハイジャック犯、ナワフ・アル・ハズミとカリド・アル・ミハダールと彼らが受けたとされる支援です。
ナワフ・アル・ハズミ
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カリド・アル・ミハダール
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2000年2月、南カリフォルニアに到着して間もない頃、二人はハラールレストランで、サウジアラビア人のオマール・アル・バユミと出会いました。彼は二人がサンディエゴでアパートを見つけるのを手伝い、サウジアラビア政府とつながりがあったことが分かっていたため、以前からFBIの監視対象でした。
オマール・アル・バユミ
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バユミはハズミとミハダールとのレストランでの出会いを「偶然の出会い」と表現していますが、FBIはその表現が正しいのか、実際には事前に手配されていたのかを確認しようと、インタビュー中に何度も試みたと文書には書かれています。
2015年のインタビューを記録したこの文書の根拠となっているは、米国市民権を申請中の男性で、数年前に、ハイジャック犯の何人かに「重要な後方支援」を提供したことが、捜査当局の調べで分かっており、サウジアラビア人と繰り返し接触し、その中にバユミの名前があったといいます。
この男性の身元は文書中では伏せられていますが、ロサンゼルスのサウジアラビア領事館に勤務していたことが記載されています。
また、この文書の中では、当時、在米サウジアラビア領事館で外交官として働いていたファハド・アル・トゥマイリーも言及されています。捜査当局によると、トゥマイリーはモスクで過激派を率いていたといいます。
この文書によると、1999年にトゥマイリーの電話通信分析の結果から、後にキューバのグアンタナモ湾刑務所に収容されることになる2人の兄弟のサウジアラビアの実家の電話に、7分間の電話がかけられたことが判明しています。
ファハド・アル・トゥマイリー
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以上。
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翻訳者からのコメント:
ここまで読み進めていただいた貴重なお時間に感謝いたします。